先日、茶道裏千家家元から分家された長男菊地明史(Chori詩人)さんがお亡くなりになりました。
普段耳にすることのない茶道の世界。茶道裏千家を調べるとあの千利休へたどり着きました。
今回は、茶道裏千家の家系図にスポットをあててみました。
茶道裏千家の家系図|家元は千宗室(せんそうしつ)
出典元:武者小路千家 官休庵
千宗室は茶道裏千家の家元
茶道裏千家の家元は、千 宗室(せん そうしつ)
出典元:裏千家
1956年6月7日生まれで68歳(2024年現在)
本名は、千 政之 (せん まさゆき)
若宗匠(わかそうしょう)時代は「宗之」
若宗匠(わかそうしょう)とは
茶道三千家のひとつである裏千家や表千家などで、次期家元となる人物
千宗室で16代目|玄黙宗室で斎号は坐忘斎!46歳で襲名
茶道裏千家15代から16代へ家元を引き継ぐ
「家元継承宣誓式」が2002年12月22日京都市上京区で行われました。
第15代鵬雲斎千宗室氏(79)から
茶道裏千家家元16代 坐忘斎玄黙宗室(ぜぼうさいげんもくそうしつ)
へ家元が引き継がれました。
裏千家のお家元は代々「宗室」を襲名されます。
16代玄黙宗室で斎号は坐忘斎
茶道における斎号とは?
斎号とは、表千家・裏千家・武者小路千家の三千家の血筋が、得度して授かる号
わかりやすくすると
お名前が玄黙宗室で、斎号は坐忘斎。
茶道裏千家16代玄黙宗室は当代となり22年、日本独自の非対称の美の感覚を作品に取り入れ、海外へ茶道の普及を行なっています。
ヨーロッパでは華美な装飾や対称の美しさを核とした「人工の美」。
日本は非対称の美の感覚や侘(わび)、寂(さび)を作品に取り入れています。
2019年(平成31年/令和元年)春には紫綬褒章を受章されています。
16代千宗室の家族|妻千容子は三笠宮崇仁親王の子
妻・三笠宮崇仁親王と同妃百合子の第2女子・容子内親王。日本の元皇族
長男・Chori(詩人)本名、菊地明史(あきふみ)2014年12月に分家。故
長女・阪田万紀子(葵祭・第54代斎王代)
次男・敬史(若宗匠、千宗史)
参考:Wikipedia
妻千容子の学歴
- 松濤幼稚園
- 学習院初等科
- 学習院女子中等科
- 学習院女子高等科
- 学習院大学法学部法学科
- スイスの全寮制の学校で学び
- パリ ソルボンヌ大学で学ぶ
茶道裏千家の家系図|千宗室の祖先は千利休
茶道裏千家を支えた歴代家元
出典元:裏千家
茶道裏千家の家系図を辿ると、16代千宗室の祖先は千利休。
歴代の当代を抜粋してみていきたいと思います。
まずは、
15代 汎叟宗室(千玄室)1923-
2023年4月19日に満100歳を迎えました。現在101歳(2024)
2023年4月に内閣総理大臣顕彰を受彰。
(2023年4月時点でこれまでに35人、15団体に対して授与)
太平洋戦争の終戦間際には海軍少尉。
13代 鉄中宗室 1872-1924
家督を継いだのは13歳のとき。東京へ転居した数日後、伊集院兼常から学費を渡すから学問を学ぶように声をかけられますが、茶道一筋でいくことを伝えたそうです。 ※学費(現在で言う5千万円以上)を出すと言われた
後に、一般への茶道普及、女性の学校教育に茶道を取り入れるなど尽力したそうです。
11代 精中宗室 1810-1877
三河国奥殿藩主の松平乗友の子供でしたが、10歳で養子入り。
裏千家の作法に手を加え、表千家とは異なる形に変えた人物。
現在の表千家と裏千家の違いを作ったと言われています。
茶道の三千家を生んだ 3代千宗旦
3代 元伯宗旦(千宗旦) 1578-1658
千宗旦は祖父である千利休によって10歳の頃大徳寺に預けられた。
その後、父千少庵に呼び寄せられ還俗して茶道の普及に努めました。
千宗旦は息子を四人授かります。
- 長男=家を出る
- 次男=武者小路千家(官休庵)
- 三男=表千家(不審菴)
- 四男=裏千家(今日庵)
それぞれ千家を興しました。
この時、三千家ができた!
参考元:茶道具 買取・売却の極意・Wikipedia
日本茶道の祖先千利休
大阪・堺の商家の生まれである千利休。
千利休は、わび茶(草庵の茶)の完成者として有名で、現在にまでその心は伝えられています。
わび茶は村田珠光が草庵茶の湯を考案し、武野紹鴎が受け継ぎ、千利休が確立したともいわれています。
村田珠光は室町時代中期の茶人、僧。「わび茶」の創始者とされる人物。
武野紹鴎は村田珠光の孫弟子で「わび」の境地を確立し、千利休・津田宗及・今井宗久らの門弟を養成した
千利休は、わび茶(草庵の茶)の完成者として知られ、茶聖とも称せられる。
織田信長や豊臣秀吉に仕えた堺の茶人で、天下三宗匠のひとりが千利休。
「天下三宗匠」
津田宗及(つだそうぎゅう)
今井宗久(いまいそうきゅう)
千利休(せんのりきゅう)
茶道裏千家の家系図で祖先は千利休でした。
わび茶(草庵の茶)の完成者として多くの名言や教えを伝えてきた偉大な人物。